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The Slave Ship [読書日記]


もうそろそろ終盤というところ、興味深く読んでいます『奴隷船の歴史』。
実を言うと奴隷貿易といってもよく知らなくて、野蛮な白人が銃と大砲でアフリカの人たちを脅し、謀略をつくして無理やり船に乗せて新大陸に運んだかのような印象を持っていました。

でもそうじゃなくて、まあ、そういうことが全くなかったといえるかどうかは知りませんが、たいていの場合、奴隷となるアフリカの人々は、現地の有力者、現地の商人との交渉によって入手したと書かれています。地域の紛争での捕虜や囚人、罪人、略奪などで誘拐された人々が奴隷となります。主にイギリスやアメリカの船によって、15世紀から19世紀の初頭にかけて、数百万人のアフリカの人が新世界に奴隷として売られていったそうですが、なんという人的資源の浪費、流出だろうかと思います。文明と国家の規範を考えさせられます。日本は鎖国から解かれたとき、かろうじて国家としてまとまることを選ぶことができ、ほんとうに幸運でした。

ところで、たんに不明なので問いたいと思い、書いておきますが、


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
僕は、《アフリカ》の憐れな男たちに出会って自分が感じたことを、言い表す術をしらない。人数は7人ーー全員が若く、22、3歳、屈強な男たちだーー皆が水夫だった。彼らほど素晴らしい男たちを見たことはないーー幾人かは死ぬ定めなのだと考えたときの僕の感情は、きっと誰も表現できないだろう。今どんなに元気盛んでも、2度と故郷を見ることができないなんて。また、このように高貴な男たちが命を落とせば、英国旗の栄光がどれほど翳ることだろう、とも考えた。力強く、たくましく、そして度胸もよく、またやる気もある、こんな男たちのおかげで、僕らは、敵国、フランスの海軍をものともせずにやっていけるのだ。

「国の柱たち」との出会いで呼び起こされた、いくばくかの同性愛的エロティシズム、そして愛国的な感情でもって、クラークソンはこの後、水夫と彼らの経験を奴隷貿易廃止運動の中心に据えるようになった。証拠と情報を集め、また奴隷船の下甲板を照らし出す光を求め、彼はますます水夫たちを頼りにするようになっていったのである。

『奴隷船の歴史』294P
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


○太字の部分、水夫が素晴らしいと褒めただけでなぜ「同性愛的エロティシズム」と形容されるのか。


冒頭、1つ目の段落は、奴隷貿易廃止を唱えたトーマス・クラークソンからの引用。18世紀から19世紀のイギリス人です。
2つ目の段落は地の文、現代の作者のマーカス・レディカー。


水夫や軍隊にそういう傾向はつきものかもしれませんが、本書ではその部分にこれまで全く触れられてきませんでした。そしてここに「同性愛的」と書かれたのが初めて。なので驚きましたよわたくしは。若くて逞しい水夫を褒めたくらいで同性愛的エロティシズムと形容するのはどうでしょう?実際に私が読んでいて、クラークソンの文章から全くそういう感じがしなかったのだけど、みなさんはどうですか?
そういう風に書かれることの原因として考えられるのは、私が思うに、この本には今までのところ一切書かれていないけれど、トマス・クラークソンが実際に同性愛的傾向が顕著だったのか、奴隷貿易反対運動の間にそういう嫌疑をかけられたのか、もしくは他の人が、あの文章を読んでそういう風に感じたか、です。

トーマス・クラークソン

↑日本語のwikiの記述は少ないですが、↓英語だとたんまり書いてあります(めんどくさいので全部は読んでいません)

Thomas Clarkson

英語版をざらっと読めば、妻がいたと書かれています。独身者でもない。敵対者からホモセクシュアルを糾弾されていた様子もない。まあ、wikiじゃなくてもっと詳細な研究書にそういうことが書かれていたかもしれないことは否定できませんね。それをレディカーが読んで、クラークソンの人となりにそのことをほのめかすのが公平だと考えて書き添えたのかも。それにしてもいらないだろ。これ。と思ってしまいます。


こういう種類の著作においては、筆者の価値観は出来るだけ表面化されないよう、細心の注意をはらってもらわなければ。信頼性を損なうというものです。



















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By which I mean, right now:羅米文学をこれへ [読書日記]




年末からこれを読んでました。

ラテンアメリカに興味あるので。なかなか面白かったです。

いろいろ読んでみたいと思わせる小説が紹介されていたのですが、中でも『夜のみだらな鳥』と『パラディソ』、『帝国の動向』といった作品に興味が。
『帝国の動向』はメキシコ皇帝マクシミリアンが出てくるお話のようなんですが、このメキシコ皇帝夫妻のwikiの記事読んだりしたら、もうたまらなく興奮しますよね!ね!

でも、この3つ、すぐに入手できない本のようです。試しにアマゾンで見たら『夜のみだらな鳥』中古になる。でもおれ、中古買うのあまり気が進まなくて。どうしてもなかったら、にする。
それからパラディソは翻訳がない。
帝国の動向は翻訳されるかも?というところ?
残念。すぐにでも読みたかったのに。

つまらないので、




を読むことにしました。

ワクワクします。












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The Best of 2016 [読書日記]


電子書籍で英語の本を読み始めてから、うーんと、3年?くらい。

今年は、さるMM読書会に参加して、月に一度課題図書をみんなで読むという楽しさを覚え、
英語を読むスピードも少し上がったように思います。

私は趣味、というより生きがいが読書だし、読書で何か広がりを持ていないと嘘だろう、と
数年前、ある日突然思ってから、でもそれはどうやれば良いのかわからなかった。
読書で繋がりが持てないなら、それは私の人格のせい?
いやいや、私はそんなに社会性がないわけでも性格が悪いわけでもないはず。
…たぶん。たぶんね。努力はしてる。

でも、今年の春に、今の読書会にご縁ができて、一つ、私が憧れていた交わりが持てたように思います。
本の世界はそれぞれの入り口から入るもの。一つの本に唯一の世界があるのじゃなく、読む人ごとの世界があると信じています。だから同じ意見である必要はなくて、読書を通じて他の人の世界を知れることがよほど価値のあることです。

来年は、MMロマンスじゃない本読みのほうでも誰かと繋がりが持てたら良いな、と思っているのだけど、まあ、あせらずゆっくり運に任せたいと思います。


さて、恒例の今年のベスト3を。

今年は12冊の紙の本、24冊の電子書籍を読んだようです。

その中で一番心に残っているのは、



良くも悪くもこれ。
英語がすこし難しくて、よく理解できない箇所があり、読み落としや間違いもあるかもしれないから、もう一度読み直せば良いと思うのだけど、読むのはいやだ。邦訳されたら読む?読みません!
他の人におすすめもしないけど、心奪われるような印象深い作品です。



それから、これ。




難しかったけど、為になった。私がいろんな本を読むのは、自分一人で解脱したいからなんだなとわかりました。


そして、大好きなCiaran Carson




私の考え方や文の好みは、プルーストとカーソンで形成されました。


それではみんな、来年もまたよろしくお願いします。








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Which is, and which was, and is to come. [読書日記]




読み終わりました。

邦訳されても売れないだろうけど、私はこれと、The Pen Friend がすごく好き。楽しませてもらいました。キアラン・カーソン、ありがとう。



読書は体験だと思います。読んでいると、頭の中で繰り広げられる様々なイメージ、世界、感情の渦。


And it occurred to me that reading is itself a form of translation, for every reader must interpret what he or she reads, visualizing the action or the scene described in his or her own way.

読むことは、それ自体がひとつの置き換えだと私は思った。読む人は誰もみな、彼がもしくは彼女が読むものを自分なりに解釈し、心の中に思い浮かべるから。


Each of us enter the room in the book in our own way.

我々は、それぞれ、自分なりの方法でその空間に入り込む。


A human being is a story-telling machine, and the self is a centre of narrative gravity.

人間は、物語る機械であり、そして彼自身、物語が集約する中心なのである。


私自身がグラビティであって、私が読んできたもので心に残り、思い出そうとすれば浮かんでくるもののかき集めの総体が、この読書日記で書きとめたいと思っていること。



物語の最後のほうで、キルパは謎めいた地下室で、かつての友に再開します。

そこは不可思議な空間で、雑多なものに満ちている。
彼は一台の自転車に目を止める。

それは美しい6月の朝。13歳の少年のころ。
快晴、青空、流れる雲。田舎道を走っていく、あの自転車。

This summer afternoon has always existed.

And I am unbearably happy because in this endless moment I do not know who I am because I am everything around me.





…あれ?午後なの?



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Full Fathom Five [読書日記]


カタカナ英語の響きは良いんだけど、英語の発音だと難しそう。
ふるふぁぞむふぁいぶ。
ちょっと発音してみて、fとlとthとv



fathomは前に読んだCarsonの The Pen Friend で印象的だったので覚えた単語です。

海の深さを測る単位である、「尋(ひろ)」、それから動詞として「推し量る、見抜く」


And I saw a glint in your eye I found difficult to fathom.

そしてぼくは君の目の中に、難解な光を見た。

突然姿を消してしまった謎めいた恋人からの不思議な手紙を巡り、過去を思い出す主人公、
の、お話。



ふるふぁぞむふぁいぶについて言えば、これはシェイクスピアのテンペスト、「嵐」の中に出てくる詩のことば。
父なる王は五尋の水底に横たわり、その骨は珊瑚、その目は真珠となりぬ。
私もこの詩が好きで、出だしだけ覚えています。

wikiで調べると、こうあります。

"Full fathom five" is a catchphrase deriving from a verse passage, beginning with those words, in Shakespeare's The Tempest. Its original context, during a storm and shipwreck.

「ふるふぁぞむふぁいぶ」はこれらの言葉から始まるシェイクスピアの「あらし」の中の詩に由来するキャッチフレーズです。


Full fathom five thy father lies;
Of his bones are coral made;
Those are pearls that were his eyes:
Nothing of him that doth fade
But doth suffer a sea-change
Into something rich and strange.
Sea-nymphs hourly ring his knell
Hark! Now I hear them – Ding-dong, bell.

— William Shakespeare, The Tempest, Act I, Sc. II


This three-word phrase has been repeatedly used in English-language culture, alone or in the context of larger parts or the whole of the passage, or referred to via abridgements of it, over the four centuries since its composition.


400年来、英語圏で繰り返し使用されて来たというのはやはり、語呂が良いからでしょうか?
しかし、キャッチフレーズって。。。どんな?



さて、Full Fathom Five は、Exchange Place の章のタイトルでもあります。


What can the little seahorse know of fantastic ecosystem? We cannot know. But we can say that its experience is a microcosm of the ongoing, thousands of years old saga that is the life of coral reef, and which, like the human brain, we have yet to fully fathom.



海馬は記憶や空間学習能力に関わる器官である。その名はラテン語で hippocampus、形態が英語でいうseahorse、タツノオトシゴに似ているから。

キルフェの失踪した友人、画家のHarlandが残した日記にはこう書かれている;

「時々、僕は人間の意識を海底都市のように捉えてみる。骸骨が積み重なって出来た建物、生命に満ちたネクロポリス。
小さなタツノオトシゴが不思議な生態系の何を知ることができるだろう?我々にはわからない。しかしそれらの経験は、いまも進行中の、何千年にも及ぶ物語の縮図であるといえるだろう。珊瑚の寿命のような、また、人間の脳のように、我々がまだ完全に理解していない物語の。








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that seemed very apropos ; 沈黙のことば [読書日記]

When I opened it my eyes fell on a sentence that seemed very apropos. Library angel sort of thing.

ページを開くと、ぴったりなセンテンスが目に飛び込んでくる。本の天使、のようなもの

Exchange Placeより





読み始めました。

これは教えてもらって取り寄せた本。
年末までに読み終えるように、分厚さや文字の分量を考慮して、内容の予備知識や予想なしに積んである本の中から手に取りました。
いつものように「序」の部分から丁寧に読んでいきます。
するとどうやらこれはアメリカの学者が、アメリカ人について、アメリカ人は世界にむけて貢献しているつもりでもつねに自己流を通して顧みない為に愛されるどころか尊敬も勝ち得ていない点を指摘し、その原因を探り、外国に出るアメリカ人にどうしたら外国の文化や違う考え方の存在に気づくことが出来るか、レクチャーしようという本であるらしい。
アメリカ人にもそういう繊細な部分があったとは驚きです!(注意:わたしは反米ではありません)


日常たえず自分で用いているにもかかわらず、ほとんどのアメリカ人は、「沈黙のことば」については、全くといってよいほど気づいていない。(9ページ)


なるほど。異文化ではよくあることですね。


かれらは、われわれの時間の処理のしかた、空間的関係、仕事や遊びや学習に対する態度を規定する、行動様式がどれほど手の込んだものであるかを認識してはいない。言語的言語以外に、われわれはたえず「沈黙のことば」、すなわち「行動の言語」を用いて、真の感情を伝えているのである。


ん? (`・ω・´)

<かれらは、われわれの時間の処理のしかた、空間的関係、仕事や遊びや学習に対する態度を規定する、行動様式がどれほど手の込んだものであるかを認識してはいない。>

文章は間違っていないけど、なにかがおかしいです!
これは考えてみなければ!(楽しくなってきました!)

前後の文脈から「かれら」は「アメリカ人」。そして前後の文脈から「われわれ」も「アメリカ人」。だって、アメリカの学者が書いてるのだもの。
でもかれらとわれわれは対立しているはず。
それから「規定する、」の句読点はいらない。「態度を規定する行動様式」のはずです。
要は「かれらは、行動様式がどれほど手の込んだものであるかを認識していない。」と言いたいわけで、その行動様式は「沈黙のことば」に関わるものであるはずです。なので

「ほとんどのアメリカ人は、他者の時間の処理のしかた、空間的関係、仕事や遊びや学習に対する態度を規定する行動様式がどれほど手の込んだものであるかを認識してはいない」

なら、意味がわかる。
あるいは、
「かれら」は、英語ではTheyだったはず。この三人称複数は「沈黙のことば」を指していたかもしれない。そうすると、文章は間違ってくるのだけど、勝手に直すとして

「沈黙のことばはわれわれの時間の処理の仕方、空間的関係、仕事や遊びや学習に対する態度を規定するものであって、ほとんどのアメリカ人はそれがどれほど手の込んだものであるかを認識してはいない」

となる。ここでの「われわれ」は人間一般ということになりますね。ひゅーまんびーいんぐ。

わたしにもっと英語の知識があれば、もとの英文の構造を想像できるのだが。(できない)



…ここで10分くらい楽しんでから先を続けました。


アメリカ軍が駐留している国で、なんらかの事件がおきることは回避できそうにない。しかしながら、われわれの事後処理のやり方がまことに不手際なために、事件の多くはさらに悪化している。事件がおきた際に、どうしたら火に油を注ぐことにならないかを、アメリカ人は全くといってよいほど知らないのである。

12ページ


ふむふむ。タイムリーじゃないの?これ。
ほら、例の…。

いつ出版されたんでしょうか、と思って巻末をめくると、日本での翻訳の出版は1966年、私が手にしているのが2011年の48版目のようです。へえ…

筆者の経歴は見当たらなかったので訳者あとがきに目を通すと、


本書は現代アメリカにおける気鋭の文化人類学者として知られる、エドワード・T・ホール博士の著書(1959)の全訳である。

と書いてある。なるほどー、60年近く前の話。
さらに続きを読むと、

同博士については、巻尾の原著者紹介を参照していただきたいが、

とある。巻尾…?巻尾って、どこ?

表紙の裏の、英語で書かれた版権みたいなもののこと?
それとも版を重ねているうちに抜け落ちたんでしょうか。


ないです。


まあともかく、アメリカ人も自分が好かれていないことを60年前から気にしていながら、対応できていないわけね。おうけい、と微笑ましい気分になりました。


それから第1章「時の伝えるもの」を読み、アメリカが戦争に勝ち、繁栄したのにも頷けるわな、と納得。なかなか面白い本です。続きを読むのが楽しみ。




先日スマホカバーをインターネットで購入し、品物が届きました。
木製のカバーで、折り目のところは革になっています。
うん、満足。
どこ製だ?と思って同梱のカードを見ると、二つ折りの面の面には、

THANK YOU!

We appreciate your purchase and forward to hearing from you.

お買い上げありがとうございます。そしてご意見をお待ちしております。


カードを開くと

Without your review, We won't know whether you like the item, and also your valuable suggestions.


う、うん。


sort of thing.




















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Apparition of the Reich:アメリカ大陸のナチ文学 [読書日記]




読みました。

これからはラテンアメリカを勉強したいと思っていて、ボラーニョは2666を読んでいるし、ウルグアイが舞台の「最終目的地」なる映画もこないだ観たから、なんとなくその気になって。

というよりは、

年末までに読んでしまえる分量の本、と思ってこれを選んだのだけど、読みやすくって予定より早く読み進めてしまいました。
私は女流文学というものが苦手で全く読まないのだけど、この架空の作家たちの人物伝の中で、女性作家はとてもとても生き生きとして映り、魅力的だったのはどうしたことだろう。ルス・(サーネームわすれた)の晩年なんか見事だった。目の前で燃え尽きる星のようだった。
最後の「忌まわしきラミレス・ホフマン」では、いきなり1人称「僕」が出てきて違和感。そしてそれがボラーニョ自身だと知る。それではこれは架空の話に紛れ込んだ作家本人なのか、それともどこかに、これまでにも現実が潜んでいたのか、と、途方に暮れる。おぞましい行為自体は語られないがその存在が物語られる。ボラーニョの本領発揮。ラテンアメリカの風景に溶け込み、ヨーロッパへも飛び火する。


ところで、先にあげた「最終目的地」なる映画ですが、これは親の世代に南米ウルグアイに移民してきた裕福なドイツ系作家(自殺)の残された家族を主題にしていて、未開発の自然の風景、白人の女たちの生き様が印象に残った作品でした。作家の伝記を書こうとその地を訪れる青年オマーは何系だったかな。パレスティナ?でもウルグアイの土地の人はほとんど主題に上らない。

なぜ南米に親ナチス的な文学を想像する余地があるのだろうか?
そもそもなぜ、ナチスの残党は南米に?
スペインや植民地国家が乗り込んできた時にいた現地の人たちは今はどこへ。
いま、南米にいるそれぞれの国の混血、非混血の人たちは自分たちを何人だと思っているのか。


そういったことが気になって、知っておきたいと思っている。






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the phantom in the brain [読書日記]

But anyway the point is through language we make up a fictive self, we project it back into the past, and forward into the future and even beyond the grave. But the self we imagine surviving death is a phantom even in life. A ghost in the brain.


でもまあ、要は、俺たちは言葉を通して架空の自分を作り出し、過去に当てはめ、将来に投影し、あまつさえ、墓に持ち込むってことだ。だけども俺たちが想像する不滅の自己ってのは、むしろ幻影だ。現実では。頭の中の幽霊ってやつだ。


the self we imagine surviving death is a phantom even in life のところがちょっとわかんない。Exchange the Place 、半分くらいのところで中断しておりますよ。だって2人のキャラクターが交錯する上に偽名を使ったりするので混乱するんだもん。でも今日、LLを読み終えるので、17日に読書会の今年最後の課題図書を読み始めるまでに、集中して読んで読了したいと思う。



一方で、




を読み終えました。楽しかった、面白かった、というお話ではないのだけど、やっぱり楽しくて面白かった。エーコがまだ生きていたら今の世界情勢をどう落とし込むかな、と考えずにはいられない、モヤモヤした気持ちになりました。


そして今はこれを。




今年中には読み終えるかな。





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BIG DEAL [読書日記]


29日といえばあれの発売日で、浮き足立っています。

だってまだ予約できていないんだもの!!!明日なのに。

まあ別に明日さっそくやりたいわけではないのですが。

さて、11月はいつものように過密スケジュールでストレス満タンだったのでこちらの更新が出来ていないと思っていて、何か一つは書いとかなきゃ、と、それも焦っていたのですが、心に漣がたっていて言葉がまとまった形をとって浮かんできません。それにブログページを開いてみると11月も2つ記事がありましたね。だからいっかと思ったけど、せっかくなので近況報告など。






無神論を終えて、エーコ読んでます。(安らかに眠り給え。)
今だいたい半分くらいのところで、昨日は「コミューンの日々」の章を読みました。面白かった…。

それから、Exchange Placeも約50%ほどのところ。こっちも不穏なスパイの影が。というより、異口同音にThe Pen Friend。そしてパリの街。

「フーコーの振り子」を読んだのはまだ大学生くらいの時で、今だってそんなに利口ではないけれど、当時はもっとぼんやりしていて、内容をよく理解していません。でも面白かった。その時の記憶からすると、エーコは今回も陰謀論をテーマに歴史で遊んでいる(遊ぶというのは不穏当な表現ですが)ように感じられます。


反復と暗喩。


since everything affects everything else.













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still dream in it [読書日記]

今読んでるExchange Place:

これって、交換場所と訳せるだろうけど、地名でもあって、ひとつには、ロンドンの通りの名前にあるみたい。


ストーリーはアイルランドにいる一人称"I"のJohn Kilfeatherと、もう一人、パリを彷徨う"He"、John Gabriel Kilpatrickが交互に登場し、物語のドッペルゲンガー的幻影空間を演出する。
(一つ前の日記、Phantomsに出て来たのが後者のKilpatrickでした。彼はベンヤミンについて考察していましたね。)


***

”わたし”はベルファストのアデルフィ・ホテルにチェックインする。ホテルのバーでJhon Powersをオーダーし、壁に掛かった鏡の下の席に腰を落ち着け、帽子を脱ぎ、ペンを持ち、ウィスキーを啜り、鏡に映った男が帽子を脱ぎ、ペンを持ち、ウィスキーを啜る姿を見る。

”わたし”はJapanese Sailor Professional Gear penを使い、0.5mmのペン先でMUjiのA6ノートにメモを書き付けていく。

”わたし”はベンヤミンならこの万年筆を気に入っただろうと想像する。なぜってベンヤミンは小さな文字でページいっぱいに書き込むことで有名だから。


‘What is Aura? The experience of an aura rests on the transposition of a form of reaction normal in human society to the relationship of nature to people. The one who is seen or believes himself to be seen (glances up) answers with a glance … When a person, an animal, or something inanimate returns our glance with its own, we are drawn initially into the distance; its glance is its dreaming … Aura is the appearance of a distance however close it may be. Words themselves have an aura … As much aura in the world as there is still dream in it.’


「オーラとは何か。オーラの経験は…………………………………………………………………
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。


うーーん、難しい、難しいよ、ここ。
今朝読んでいて、意味を掴みにくかったので、日本語訳にしてみようと思ったけれど。なんだか骨が折れる。

reactionとnormalの間は切っていいのでしょーか。normal、これが名詞であれ、形容詞であれ、文法としておれのちゅうがくそつぎょうレベルの英語力では理解できない…。名詞の並列、もしくは後ろからの名詞を形容…。

まあとりあえず、ここで切るとすると、

”反応の様式の移項に依る”

あるオーラ体験とは、反応の様式の移項に依る。 人への自然の関係性に向かう人間社会における?


٩( 'ω' )و ちょっとよくわからない!


おっと、Auraはベンヤミンが使う用語で、

自然界のアウラを定義した「どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象」という記述

とあります。”アウラ”なんだね。

機械的複製によって芸術作品のコピーを大量生産することが可能になった時代において、オリジナルの作品から失われた「いま」「ここ」にのみ存在することを根拠とする権威のこと。漠然とした霊的なエネルギーを刺す英語の「オーラ」とは意味が異なる。ドイツの思想家であるヴァルター・ベンヤミンが、1930年代に執筆した「複製技術時代の芸術作品」や「セントラル・パーク」といった論考において言及し、広く用いられるようになった概念である。

「アウラ」


アウラとは何か。アウアに関する体験は、自然が人々へ向かう関係性への人間社会における一般的な反応の様式の置き換えに依拠する。見られている、あるいは見られて(チラ見)いると意識している男が一瞥で答える…人間、動物、あるいは無生物であるなにかが我々の一瞥にかれらのそれを返すとき、我々は当初隔たりへと押しやられる。そのまなざしは、その夢見る心…アウラは近しくとも隔たりのある様を言う。言葉はそれ自体アウラを持つ…この世におけるアウラと同等にそこにはなおさらに夢がある。


難しいですね…。わからない。文意が掴めそうで掴めない。
ベンヤミンのこの引用、日本語になっている記述があるのでしょうか。いずれベンヤミンを読んでみたいと思います。


そして、

これらの言葉の上に、サンペレグリノの星の右に向かって、ベンヤミンは斜線を引き3行の言葉を書いている。

Eyes staring at one's back
Meeting of glances
Glance up, answering a glance


とある背中を見つめる目
まなざしの合うところ
投げかける、応える視線





まあ、こういう風な話なんです。今のところ。






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