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Let your fantasy unwind [読書日記]

これを読み始めました。




ちょっと難しそうだけど、これはわたしが最近興味を持っている中世のグローバリゼーションに対して啓蒙してくれそうだから。

本文を読む前にまずは訳者紹介やあとがき、付録の地図をとっくり眺め…。

前書きにこう書いてあります。


ハンザの歴史は、12世紀半ばと17世紀半ばの間という非常にはっきりした2つの年代にはさまれている。

当時の人々の理解に従えば、バルト海は氷結した海岸に囲まれた袋小路などではなかった。すなわち、バルト海はロシアの河川に向かって広く開かれた交易路であり、ノヴゴロドとスモレンスクという大きな市場に通じていた。この2つの市場には、はるか東方の白海沿岸そしてイスラーム圏やビザンツ圏にある東方諸国から、長い道のりを経た珍奇で高価な産物が流れ込んでいた。

ドイツ商人はバルト海沿岸全域で取引を営み、この地域での商業目的のための新都市建設にも積極的に参加し、大きな影響力を発揮した。それと同時に、北海沿岸、ノルウェー、ネーデルラントそしてイングランドに航行し、イングランドでは、ケルンとロンドンの間を結ぶ、はるか以前に確立されていた交易を発展させた。10ページ


ここまででもうすでに楽しい!

バルト海といえば、キアラン・カーソンの”琥珀捕り”で語られた人魚や琥珀の話を思い出す。
それに最近、フィンランドの人は自国の税金が高いのでフェリーに乗って、対岸にあるエストニアのタリンへ買い出しにゆくと聞いたばかりなのですよね。(それって税制としてどうなの?)

タリンは、フィンランドの首都ヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に面する主要都市の一つであり、2011年の欧州文化首都である。また、中世ハンザ都市の一つとして栄えた港湾都市で、現在もバルト海クルーズの主な寄港地の一つである。2008年にはNATOのサイバーテロ対策機関の本部が置かれた。
フィンランド湾南岸のタリンから、同湾北岸のヘルシンキまでは85km、同湾東奥のサンクトペテルブルクまでは350kmの距離である。(wiki)

ここもハンザ都市だったんですね!

それから、イスラームやビザンツの、と聞くと、マクニールの”ヴェネツィア”で読んだイタリア都市国家の貿易の歴史も思い出す。東方との交易。ラテン教会と東方教会との軋轢。ロシア正教との関係など…。バルト海、北海、地中海、黒海とつながってそれから陸路で北上すると輪っかになる!また新たな知識が加わると良いな。

ネーデルラントといえばトマス・クロムウェル、ヒラリー・マンテルのウルフホールで読んだ。ウルジーに使える前は、オランダで毛織り物かなにか貿易の仕事をしていたはず。ハンザに関わる記述があったかどうか、覚えていませんが、時期も場所もぴったり。


北海沿岸、ノルウェー、ネーデルラントそしてイングランド

それらの海を航行する船団を思い浮かべると、うっとりしちゃう。
確か、ヴァイキングが発明した櫂か何かの改良によって、船体を大きくすることが出来、交易が拡大したんではなかったかな。北海やバルト海は船と海上貿易の歴史で重要な揺籃の地のような気がする。民族や文化の出会い(衝突)により歴史が動く様も楽しそうでニヤニヤしてしまいます。


用語や、要求される基礎知識があまり高度でなければ良いんですけどね。。










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KISMET [読書日記]




読みました。

奴隷船の歴史に引き続き、あまり難しくなく、さらっと読めて興味深く、いろいろお勉強になりました。
分厚いけど読みやすいのでおすすめです。

さて、最後にグローバリゼーションのあけぼの、とかそんな感じの追記があって、そこでザイトンという福建省のとある港町が元朝に発展し「世界最大の港」と呼ばれたことを知りました。

14世紀にはイブン・バットゥータも訪れ、『三大陸周遊記』に約100艘の大型ジャンクと数え切れないほどの小型船が停泊する「世界最大の港」と記している。

イスラム、仏教、キリスト教それぞれの宗教施設を要した他民族貿易都市。アラブ人の蒲 寿庚が実力者として君臨し、イスラム教徒へ改宗する中国人も多かった。蒲 寿庚の勢はスンナ派で、他の大部分はシーア派で…

あとは推して知るべし。


















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Well, now, my bloodhounds! [読書日記]

年末に初めて開き、3月の初旬に18%、4月14日に28%、5月3日に50%、



そして今は80%というところ。ご存じニコラ・ル・フロック警視シリーズです。

サン・フロランタンは、邦訳されているシリーズの中にも出てきた人物ですが、サン・フロランタン伯爵、侯爵、そしてド・ラ・ヴリリエ(!?)公爵、本名ルイ・フェリポー(Louis Phélypeaux (18 August 1705 – 27 February 1777) comte de Saint-Florentin, marquis (1725) and duc de La Vrillière (1770), was a French politician.)

その人の宅で起きたメイド殺人事件から端を発する事件の物語。

歴史上の人物が行き交い、非常にややこしく、フランス語表記が読みにくいことこの上ない。読者泣かせのこの話。主人公ニコラの前回までの上司サルティン、今の上司がレノア。それから上述のルイ・フェリポー、そしてその従兄弟デギュイヨン公爵=エマニュエル・アルマン・ド・リシュリュー (第3代リシュリュー公爵ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシの甥)。ルイ16世の宮廷の権力者モールパ、などなど、会話の中に出て来ても、いちいちわからなくて、いちいち調べないと把握できない!(読書会でお世話になっている人に泣きついて教えてもらいました)

さて、物語は1774年の秋のお話ですので、1787年〜のフランス革命に先立つこと十数年ということになります。色々と怪しい雰囲気のパリ、ヴェルサイユ。ニコラの無二の相棒ブルドーはルソーに気触れ、折に触れ貴族や社会を批判しています。遠い雷鳴を予感しながら、まずは

The King must be served first; that was his motto and his yardstick, as always. After that, he would just have to see how things worked out.

まずは王様が第一で、その他のことはいつものように、成るように成るべく解決するのだというおなじみのニコラが活躍…(今のとこしてません)します。

多少猟奇で、多少ロマンス、多少グルメ。ニコラとブルドーのブロマンスも楽しめます(どうして二人の薄い本がないのか不思議なくらいです)。

英訳で読むのは難しいので、もう当分は読みたくないけれど、シリーズは13冊まで出ているみたいだから、ぼちぼちと読んでいけたらな、と思っています。






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The Twelfth of Never [読書日記]





を楽しく読んでます。コロンブス交換や新生均質の結果、新大陸や中国で結果的に西洋人の都合の良いように働いた、という話。これまでのところ。たぶん。グローバリズムや生物多様性はこの頃からのトレンドと言えます。


そして、これ、書いました。



タイトルは”決して起こらないこと”という意味のidiom、みんな大好きキアラン・カーソンの詩集です。

一番最初の詩は、" Tib's Eve" といい、

There is a green hill far away, without a city wall,
Where cows have longer horns than any that we know;
Where daylight hours behold a moon of indigo,
And fairy cobblers operate without an awl.

はるか遠くに緑の丘がある、城壁のない、
そこは牛は我々が知るものより長いツノを持つところ、
日なかに藍色の月浮かぶ、
そして小人の靴屋たちが錐なしで働くところ

という始まり。(訳は怪しい)
なんだかキアラン・カーソンらしい、幻想的な詩で、ちょっとよくわからないところもあるけれど
気に入りました。

そうそう、St Tibというのがすでにわかりにくい。
調べてみたけど…

St. Tib is an aetheric being created by the introduction of Leap Days into calendars. He first became conscious when some bright soul realized that those who are born on Leap Days technically have birthdays substantially less often than anyone else.


つまり、閏日の聖人ということかな?

like,
幽霊船が鬱蒼とした真実の森をうねって進み、魚の一群が帆の間を飛ぶ、
川は丘を上って星が輝く雲に注ぎ、いちご畑はオーシャンブルーの中に育つ。

これは緑の薔薇とライオン・リリーの国、
ゼノンの兎と亀のパラドクスに支配され、
全てが明喩と隠喩の国。

夢遊病者たる我々、この楽園を彷徨い、時折、繰り返される祈りの言葉のように、
さもなければまた真実というものが嘘であると知っている物語話者


幽霊船のところはたむらしげるの絵本みたいで、
緑の薔薇、ライオン・リリーはなんの象徴かわからず、
ゼノンのパラドクスは時間の不在?

物語を物語る人というのは、カーソンのテーマですね。


表紙はポピーの花。そしてちょうど同じポピーが我が庭にも咲いているこの季節に届いたのが嬉しい。万物照応だからね。





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Far be it [読書日記]





読み終わりました。

中世に煉獄というものが出来て、それは主にカトリック教会でのことですが、今際の際に司祭を通して悔悟をすれば誰でも、地獄直行間違いなしの罪人や悪人でも煉獄という浄罪の場で罪を償うことにより、ゆくゆくは天国へいけるというシステムが出来上がった、というのお話。(ちがうかも)

それはつまり、死後、未来永劫の苦しみである地獄に堕ちないために、そしてもしくは地獄の苦しみに勝るとも劣らない煉獄での浄罪の苦しみを軽減するために、教会のとりなしがどうしても必要で、天国があり地獄があると一般的に信じられていた社会において、それは人々の信心を取り込むための非常に有効な手段であったことが想像できます。

煉獄の流行は、ル・ゴッフせんせーによれば19世紀くらいまで。ということは、以前に読んだ無神論の歴史に思いを巡らせれば、死の床においても決然と司祭の同席を拒否したキリスト教社会の無神論者さんたちの胆力や、驚嘆すべきものであったと言わざるを得ません。最後の最後には神の許しを請うた無神論者さんがいても残念なことではないでしょう。私は今健康で、死ぬことなどあまり考えませんが、いざ風前の灯火となると、やはり恐怖に襲われるかも。だって死後は未知だもの。何かにすがりたいと思うほど心が弱くなるかもしれない。でもそうしない。死ねば終わり。骸はただの抜け殻で、孤独死しようが損壊されようが、どんな扱いでも全く気にしない。出来れば、また生まれ変わらないように、ともし火が消えるように、魂も消滅すれば良い。そういう風に、疑わず、死んでいけますように。

浄福を得んがためにはひと各々の流儀あるべし。

です。






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Obscurantism、蒙昧主義 [読書日記]


13世紀、教会においては煉獄はほぼその存在を確実にしている。
説教は教化の重要手段だし、民衆にとっては上手な説教は人気の出し物。そこにおいて煉獄がどのように扱われているかとみるために、シトー派、ハイステルバッハのカエサリウスとドミニコ会士エティエンヌ・ド・ブールボンの著作がとりあげられる。カエサリウスにおいては煉獄は希望(その先は地獄ではなく天国という意味で)だが、少し後の時代のエティエンヌ・ド・ブールボンでは煉獄は地獄寄り。恐怖による教化。

さて、またエティエンヌ・ド・ブールボンは次のような名文句を吐いている。

《聖人は、天国にあって神を見られないよりは、その必要があれば地獄にあって神を見ることを選ぶであろう》と。かなり蒙昧主義的な彼の文章の中で、至福直観に関するこのくだりは雲間から漏れる太陽の光のようである。466p


なにその愛されないならいっそ憎まれたい的なロマンスっぽさ。というか、ジャック・ル・ゴッフせんせいのいきなりロマンティックな表現。何が筆を滑らせたのだろうかと勘ぐりたくなる…。
というのはさておいて、【蒙昧主義】ってなんだろう?

蒙昧主義

曰く:
この語は翻訳語であり、英語やフランス語などの原語の語法では、大別して以下の二つがある。
1)知識や情報が広がるのに反対すること:公共の空間に知識がひろまるのを許可しないこと
この用法は18世紀の啓蒙主義者らによって普及した。そのため、狭義には、新しく合理的な概念を拒絶し、古い権威を蒙昧的に擁護する態度を意味する。
中国語ではObscurantismは「愚民政策」として翻訳されるが、それはこの意味に限定したものである。
2)文学や芸術や思想などで、意図的に曖昧または難解な表現を使うスタイル、のことを一般には意味する。
この用法ではカタカナでオブスキュランティズムと書かれることが多い。
日本語では類似する語として「韜晦趣味」また「衒学趣味」がある。


わたし、自分の文学の好みが2の意味で蒙昧主義的であると言えることを知りました。

自分もあからさまにせず、わざとぼかして言ったり書いたりするのが好きだし、文章を読むときは平明であるより小難しくて直截的でないのが良い。

そのほうが余計に楽しむ余地がある。

と思う。






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While the sentiment is appreciated, [読書日記]


ネタにしまくってますが、先日、初めてインフルエンザに罹りました。

38℃以上の熱を出したのも初めてです。たぶん。

人生に厚みが出たように思います。これでインフルエンザに罹った人の気持ちもわかるというものです。

隔離期間中、当たり前だけど家から一歩も出られず、ゲームも自粛していたので本を読みました。買い置きの本は山ほどあるし、電子書籍も書い放題。そして進行中の本も数冊ある。なので





は読み終えました。スペインに関して初心者には意味不明の単語の羅列でしたが、でも面白かった。スペインの無脊椎化とか示唆溢れて興味深い読み物でした。


とはいえ、あんまり難しいのは疲れるので、スペイン史の後はこれ





を読みました。

作者キルメン・ウリベは処女作がとてもよかった。




でも今作は、わたしはあまり合いませんでした。おおむね、悪くないのだけど、うーん、こういうコラージュのような書き方の場合、超越した主観の存在に気づかされると在り来たりになるように思います。コラージュは作品そのものの偶然性と受け取り側の感受性に依存しているからこそ面白いのに、発信者の主張の骨子がありありと透けて見えるのは興ざめ。という感じ。素材はいいです。すごく。感性は素晴らしいと思います。でもまあ、わたしは文学者ではないので難しいことはわかりません。端的に、星3つ、というところ。


今は引き続き、煉獄の誕生を読んでいます。形容詞的副詞的”煉獄なるもの”が名詞”煉獄”になり、異端カタリ派やヴァルド派との差別化によってカトリック教会内での地歩を固め、ギリシヤ人(正教)との論争で、空想を埋めていくところ。12世紀、13世紀に入っています。



さて、タイトルは今読書会で読んでいるリージェンシーものから。

気持ちは汲むけどね、

という意味かな。お気持ちは嬉しいけれど。


そんな感じの、いろいろあったこの頃でした。







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レフリゲリウム(refrigerium) [読書日記]



『煉獄の誕生』を読んでいます。

ジャック・ル・ゴッフせんせーのやつ、文章がすらっとしていないから、ほんと読みにくい。
私は文面を追う毎に見通しを立てながら読みたいタイプなんですよね。
(単に私には荷が重い、ということかもしれません。)





さて、「煉獄」

れんごく、英語だとpurgatory

カトリック教会の教義で、この世のいのちの終わりと天国との間に多くの人が経ると教えられる清めの期間。『カトリック教会のカテキズム』では、「神の恵みと神との親しい交わりとを保ったまま死んで、永遠の救いは保証されているものの、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化(清め)の苦しみを受ける人々の状態」と説明する。
正教会やプロテスタントなどキリスト教の他の教派では、後述するように煉獄の存在を認めていない。

(wiki丸写し)


私は、<完全無欠の義人でも悪人でもない普通の人が、死んでから最後の審判までの間にいくところ>と思っていたのですが、<ある一定の期間罪を清めるところ>みたいです。

まあともかくその煉獄というのが、中世カトリック教会界隈の産物であって、天国か地獄かという極端な二元論にそぐわなくなった現実の人間社会に即して考え出された第三の場所、というのがこの本の骨子(私見)。




昨日読んだところに、以下のような聖パウロの黙示録の記述を引用した箇所がありました。


劫罰を受けた者の魂は義人の魂が大天使ミカエルによって天国へ運ばれるのを見、自分たちのために主にとりなしてくれるよう嘆願する。大天使は、パウロと彼に付き添う天使たちと一緒に、神に泣いて訴えるよう勧める。そうすれば神は彼らに蘇生のよすが、レフリゲリウム(refrigerium)をお与え下さるであろう。そこで一同声を合わせて嘆き訴えると、天から神の手が降り、その受難と人間の罪の数々を想い起こさせる。しかし彼は聖ミカエルと聖パウロの祈りに心を動かされ、彼らに土曜日夕刻から月曜日朝までの休息(requies ab hora nona sabbati usque prima secunde ferie)を認める。

57ページ 「I 古代の想像的形象」より


は?

「しかし彼は聖ミカエルと聖パウロの祈りに心を動かされ、」の「彼」って誰のこと?

ここには、劫罰を受けた者(の魂)、大天使ミカエル、パウロ、天使たち、神(の手)しか登場しませんね。その中で、ミカエルとパウロは除外、また「彼ら」に相当するのは劫罰を受けた者(の魂)であるので違う、となると、天使たちか神しかない。
というか、文脈からしても「彼」とは「神」のことなのですが、「God」に当たる「he」の「彼」をこんなにそっけなく書いた文をあまり読んだことがなかったので(日本語ならせめてそのあとの「心」を「御心」にするとか、動詞を尊敬語にする、とかそういう書き分けがあることが多い、という認識があります)、ちょっと戸惑ってしまいました。英語でも大文字になってることがありますよね。

その前の「天から神の手が降り、その受難と人間の罪の数々を想い起こさせる。」という箇所も一読しただけではちょっと読み取りにくい表現。
大天使の勧めで劫罰を受けた者(の魂)らが泣きながら嘆願すると、天から神の手が降りてきて、彼らに「受難(←だれの?キリストの?」と「人間の罪の数々」(←だれの?一般人の?)を思い起こさせる。キリストの受難で罪を購ったのにまだ改心しない、だから今更泣いたって悪いのはお前らだ、と言いつつも、土曜日の夕方から月曜の朝まではお休みにしてやる、という神の慈悲を説いた文面である、ということなのでしょうかね。
英語のテキストなら、受難は"Passion"と頭文字が大文字になっていたかもしれず、それならすぐにキリストの受難なのだな、と思えるでしょうけど。言葉の使い方による情報はバカになりません。

まあ、こんな風に、いちいち文句つけつつ、ねちねち考えるのが好きな私です。嫌厭されるタイプのようです。



さて、レフリゲリウム。これは聞いたことがなかったので調べてみようと思い、それをこの日記に書いておこうと考えたのでした。


The Latin word refrigerium literally means ‘refreshment’, and is the origin of the English noun ‘refrigerator’ (Webster, 1913). In ancient Rome, the word refrigerium referred specifically to a commemorative meal for the dead consumed in a graveyard. These meals were held on the day of burial, then again on the ninth day after the funeral, and annually thereafter. Early Christians continued the refrigerium ritual, by taking food to gravesites and catacombs in honor of Christian martyrs, as well as relatives.

The early Christian theologian Tertullian used the term refrigerium interim to describe a happy state in which the souls of the blessed are refreshed while they await the Last Judgment and their definitive entry into Heaven. Later Christian writers referred to a similar, interim state of grace as the "Bosom of Abraham" (a term taken from Luke 16:22, 23). Tertullian's notions of refrigerium were part of a debate on whether the souls of the dead had to await the End of Times and the Last Judgment before their entrance into either Heaven or Hell, or whether, on the other hand, each soul was assigned its place in the eternal afterlife immediately after death (see particular judgment).

(wiki丸写し)


ええと、
ラテン語のリフリゲリウムはリフレッシュメントという意味で、英語のrefrigerator、冷蔵庫(ほらきた、そうじゃないかと思いましたよ)の語源である。
古代ローマでは、レフリゲリウムは特に、死者の為に墓地で摂られる記念的な食事を指す。
これらの食事は埋葬の日中供され?、9日後の葬式、その後は1年毎に繰り返される。(←通夜、葬式、法事の御膳か)
初期のキリスト教徒は墓地、それから身内と同様に殉教者に敬意を表してカタコンベに食事を持ち運ぶことでレフリゲリウムの儀式を維持した。

初期キリスト教神学者のTertullianはこの用語をrefrigerium interim 仮のリフレッシュメント?を「幸福状態」を言い表わすことに用い、そこにおいては祝福された魂たちは、最後の審判と最終的な天国入りを待つ間リフレッシュさせられるという。
後のクリスチャンの著述家は、類似した、慈悲?(grace)の中間状態「アブラハムのふところ」と言述した。
Tertullianによるレフリゲリウムへの言及は、死者の魂は天国あるいは地獄へ入るまで世界の終わりと最後の審判を待たなければならないか、または、もう一方では、それぞれの魂は死の直後にそれ以降永遠に続く死後の人生を割り当てられるのかという議論の一部であった。



古代ローマの習慣であって、日本人にも思い当たるふしのある葬式、墓地での食事という文化の根源と、それをリフレッシュメント、再新鮮化?のような言葉で言い表すのって興味深いですね。
ちなみに私の田舎では葬式の時に出される食事はおひじと言います。今ネットで調べたら「お非時」と書いてありました。










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Ah, gods above...or underneath? [読書日記]


『奴隷船の歴史』、読み終わりました。


15世紀から19世紀のはじめにかけて、アフリカ人商人や権力者に売られ、白人の船で大西洋を渡ったアフリカの人々は1000万人以上。
ちなみにホロコーストの被害者数はおよそ600万人と言われています。
それよりもさらに多いアフリカの人々が、この本によれば、故郷と人間性を奪われ、商品または使い捨ての労働力とされました。
そして船の稼働率にしても、生態系に与える影響としても、想像を絶する大移動を、付帯的損失も出しながら、白人資本家たちはやってのけたことになります。

世紀を通じて貿易が盛んだった18世紀には、英国とアメリカの奴隷船だけで300万人もが運ばれた。輸送にともなって、目がくらむほどの人的被害を生んだーーアフリカで、船上で、そして新世界について1年以内に死亡した者は500万人に上る。
(中略)
貿易廃止時、大西洋の「プランテーション」機構では、ざっと見積もって330万の奴隷が労働に従事していた。農園を所有していたのは、アメリカ人、英国人、デンマーク人、オランダ人、フランス人、ポルトガル人、そしてスペイン人と様々であった。奴隷のうちのほぼ120万人が合衆国、70万人が英国領カリブ海植民地で働かされていた。
エピローグ 318p


また、閉じられた、狭い世界である奴隷船上のヒエラルキーにおいては、水夫は奴隷たちへの命令や虐待の実行者であるだけでなく、同時に船長や上級船員(航海士など)から虐待を受けていて、その死亡率、傷害率も高かったと書いてありました。


こうした非人間的システムの恐るべき黒幕は資本家乃至資本主義だとレディカーは書いています。


興隆においても、また現在まで続く展開においても、資本主義の核には常に暴力と恐怖があった。
(中略)
水夫を看取る奴隷たちの考え方こそ、この本の調査の過程で出会った、最も寛大で懐の広い人間性の捉え方だった。
エピローグ 325p


中間航路を生きながらえても、病気や怪我で動けなくなったり、帰りの船では不要になるなどして、他に頼るあてなどなく港の角で死を待つしかない水夫は大勢いて、そういう水夫に同情を寄せ、看取ったのは彼らに運ばれてきた奴隷たちであったと筆者は書いているのです。

ただし、私は、資本主義の核には、というか、人間の本能の核には常に欲望があり、それが暴力と恐怖を呼び寄せるのだと一方では言え、また他方では、傷ついて死にかけている目の前の人に同情を寄せることは人間的な行いだと言えると考えます。奴隷貿易においてだれがどのように非人間的であったかというよりも、どちらも人間的であったということを深く考えなければいけない気がします。

そうして、奴隷貿易の過去を矮小化したいわけではないけれど、どうしても私はアフリカ側に”売る人”がいたことが気になります。


そもそも、国家や国民の意識、人権、平等、人類愛などの認識すらない時代だったとしても、権力者や奴隷商人達がこれほどのアフリカ人を売らなければ、これほどの規模のヒューマントラフィックは可能にならなかったのでは?

日本が大政奉還のとき国家としてまとまらずに分裂し、佐幕派と尊皇派の藩の間で戦争をして、捕虜を白人たちに奴隷として売ったと想像してみたらどうですか?

当時の日本で、奴隷何百万人もの確保は可能だったでしょうか?

そしてアフリカはなんという損失でしょうか。その規模の人的資源の損失を考えると。
けれども逆に、それほどアフリカの地、自然は、生きるのに過酷であると言えるのかも。人口が増えるのを支えきれないわけですから。


アフリカのことはまだそんなに考えたことがないから、またさらに知りたいことが増えました。




ーー人類揺籃の地と言われるアフリカ。

Finis Africae















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The Slave Ship [読書日記]


もうそろそろ終盤というところ、興味深く読んでいます『奴隷船の歴史』。
実を言うと奴隷貿易といってもよく知らなくて、野蛮な白人が銃と大砲でアフリカの人たちを脅し、謀略をつくして無理やり船に乗せて新大陸に運んだかのような印象を持っていました。

でもそうじゃなくて、まあ、そういうことが全くなかったといえるかどうかは知りませんが、たいていの場合、奴隷となるアフリカの人々は、現地の有力者、現地の商人との交渉によって入手したと書かれています。地域の紛争での捕虜や囚人、罪人、略奪などで誘拐された人々が奴隷となります。主にイギリスやアメリカの船によって、15世紀から19世紀の初頭にかけて、数百万人のアフリカの人が新世界に奴隷として売られていったそうですが、なんという人的資源の浪費、流出だろうかと思います。文明と国家の規範を考えさせられます。日本は鎖国から解かれたとき、かろうじて国家としてまとまることを選ぶことができ、ほんとうに幸運でした。

ところで、たんに不明なので問いたいと思い、書いておきますが、


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
僕は、《アフリカ》の憐れな男たちに出会って自分が感じたことを、言い表す術をしらない。人数は7人ーー全員が若く、22、3歳、屈強な男たちだーー皆が水夫だった。彼らほど素晴らしい男たちを見たことはないーー幾人かは死ぬ定めなのだと考えたときの僕の感情は、きっと誰も表現できないだろう。今どんなに元気盛んでも、2度と故郷を見ることができないなんて。また、このように高貴な男たちが命を落とせば、英国旗の栄光がどれほど翳ることだろう、とも考えた。力強く、たくましく、そして度胸もよく、またやる気もある、こんな男たちのおかげで、僕らは、敵国、フランスの海軍をものともせずにやっていけるのだ。

「国の柱たち」との出会いで呼び起こされた、いくばくかの同性愛的エロティシズム、そして愛国的な感情でもって、クラークソンはこの後、水夫と彼らの経験を奴隷貿易廃止運動の中心に据えるようになった。証拠と情報を集め、また奴隷船の下甲板を照らし出す光を求め、彼はますます水夫たちを頼りにするようになっていったのである。

『奴隷船の歴史』294P
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


○太字の部分、水夫が素晴らしいと褒めただけでなぜ「同性愛的エロティシズム」と形容されるのか。


冒頭、1つ目の段落は、奴隷貿易廃止を唱えたトーマス・クラークソンからの引用。18世紀から19世紀のイギリス人です。
2つ目の段落は地の文、現代の作者のマーカス・レディカー。


水夫や軍隊にそういう傾向はつきものかもしれませんが、本書ではその部分にこれまで全く触れられてきませんでした。そしてここに「同性愛的」と書かれたのが初めて。なので驚きましたよわたくしは。若くて逞しい水夫を褒めたくらいで同性愛的エロティシズムと形容するのはどうでしょう?実際に私が読んでいて、クラークソンの文章から全くそういう感じがしなかったのだけど、みなさんはどうですか?
そういう風に書かれることの原因として考えられるのは、私が思うに、この本には今までのところ一切書かれていないけれど、トマス・クラークソンが実際に同性愛的傾向が顕著だったのか、奴隷貿易反対運動の間にそういう嫌疑をかけられたのか、もしくは他の人が、あの文章を読んでそういう風に感じたか、です。

トーマス・クラークソン

↑日本語のwikiの記述は少ないですが、↓英語だとたんまり書いてあります(めんどくさいので全部は読んでいません)

Thomas Clarkson

英語版をざらっと読めば、妻がいたと書かれています。独身者でもない。敵対者からホモセクシュアルを糾弾されていた様子もない。まあ、wikiじゃなくてもっと詳細な研究書にそういうことが書かれていたかもしれないことは否定できませんね。それをレディカーが読んで、クラークソンの人となりにそのことをほのめかすのが公平だと考えて書き添えたのかも。それにしてもいらないだろ。これ。と思ってしまいます。


こういう種類の著作においては、筆者の価値観は出来るだけ表面化されないよう、細心の注意をはらってもらわなければ。信頼性を損なうというものです。



















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