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The Twelfth of Never [読書日記]





を楽しく読んでます。コロンブス交換や新生均質の結果、新大陸や中国で結果的に西洋人の都合の良いように働いた、という話。これまでのところ。たぶん。グローバリズムや生物多様性はこの頃からのトレンドと言えます。


そして、これ、書いました。



タイトルは”決して起こらないこと”という意味のidiom、みんな大好きキアラン・カーソンの詩集です。

一番最初の詩は、" Tib's Eve" といい、

There is a green hill far away, without a city wall,
Where cows have longer horns than any that we know;
Where daylight hours behold a moon of indigo,
And fairy cobblers operate without an awl.

はるか遠くに緑の丘がある、城壁のない、
そこは牛は我々が知るものより長いツノを持つところ、
日なかに藍色の月浮かぶ、
そして小人の靴屋たちが錐なしで働くところ

という始まり。(訳は怪しい)
なんだかキアラン・カーソンらしい、幻想的な詩で、ちょっとよくわからないところもあるけれど
気に入りました。

そうそう、St Tibというのがすでにわかりにくい。
調べてみたけど…

St. Tib is an aetheric being created by the introduction of Leap Days into calendars. He first became conscious when some bright soul realized that those who are born on Leap Days technically have birthdays substantially less often than anyone else.


つまり、閏日の聖人ということかな?

like,
幽霊船が鬱蒼とした真実の森をうねって進み、魚の一群が帆の間を飛ぶ、
川は丘を上って星が輝く雲に注ぎ、いちご畑はオーシャンブルーの中に育つ。

これは緑の薔薇とライオン・リリーの国、
ゼノンの兎と亀のパラドクスに支配され、
全てが明喩と隠喩の国。

夢遊病者たる我々、この楽園を彷徨い、時折、繰り返される祈りの言葉のように、
さもなければまた真実というものが嘘であると知っている物語話者


幽霊船のところはたむらしげるの絵本みたいで、
緑の薔薇、ライオン・リリーはなんの象徴かわからず、
ゼノンのパラドクスは時間の不在?

物語を物語る人というのは、カーソンのテーマですね。


表紙はポピーの花。そしてちょうど同じポピーが我が庭にも咲いているこの季節に届いたのが嬉しい。万物照応だからね。





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Far be it [読書日記]





読み終わりました。

中世に煉獄というものが出来て、それは主にカトリック教会でのことですが、今際の際に司祭を通して悔悟をすれば誰でも、地獄直行間違いなしの罪人や悪人でも煉獄という浄罪の場で罪を償うことにより、ゆくゆくは天国へいけるというシステムが出来上がった、というのお話。(ちがうかも)

それはつまり、死後、未来永劫の苦しみである地獄に堕ちないために、そしてもしくは地獄の苦しみに勝るとも劣らない煉獄での浄罪の苦しみを軽減するために、教会のとりなしがどうしても必要で、天国があり地獄があると一般的に信じられていた社会において、それは人々の信心を取り込むための非常に有効な手段であったことが想像できます。

煉獄の流行は、ル・ゴッフせんせーによれば19世紀くらいまで。ということは、以前に読んだ無神論の歴史に思いを巡らせれば、死の床においても決然と司祭の同席を拒否したキリスト教社会の無神論者さんたちの胆力や、驚嘆すべきものであったと言わざるを得ません。最後の最後には神の許しを請うた無神論者さんがいても残念なことではないでしょう。私は今健康で、死ぬことなどあまり考えませんが、いざ風前の灯火となると、やはり恐怖に襲われるかも。だって死後は未知だもの。何かにすがりたいと思うほど心が弱くなるかもしれない。でもそうしない。死ねば終わり。骸はただの抜け殻で、孤独死しようが損壊されようが、どんな扱いでも全く気にしない。出来れば、また生まれ変わらないように、ともし火が消えるように、魂も消滅すれば良い。そういう風に、疑わず、死んでいけますように。

浄福を得んがためにはひと各々の流儀あるべし。

です。






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