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Obscurantism、蒙昧主義 [読書日記]


13世紀、教会においては煉獄はほぼその存在を確実にしている。
説教は教化の重要手段だし、民衆にとっては上手な説教は人気の出し物。そこにおいて煉獄がどのように扱われているかとみるために、シトー派、ハイステルバッハのカエサリウスとドミニコ会士エティエンヌ・ド・ブールボンの著作がとりあげられる。カエサリウスにおいては煉獄は希望(その先は地獄ではなく天国という意味で)だが、少し後の時代のエティエンヌ・ド・ブールボンでは煉獄は地獄寄り。恐怖による教化。

さて、またエティエンヌ・ド・ブールボンは次のような名文句を吐いている。

《聖人は、天国にあって神を見られないよりは、その必要があれば地獄にあって神を見ることを選ぶであろう》と。かなり蒙昧主義的な彼の文章の中で、至福直観に関するこのくだりは雲間から漏れる太陽の光のようである。466p


なにその愛されないならいっそ憎まれたい的なロマンスっぽさ。というか、ジャック・ル・ゴッフせんせいのいきなりロマンティックな表現。何が筆を滑らせたのだろうかと勘ぐりたくなる…。
というのはさておいて、【蒙昧主義】ってなんだろう?

蒙昧主義

曰く:
この語は翻訳語であり、英語やフランス語などの原語の語法では、大別して以下の二つがある。
1)知識や情報が広がるのに反対すること:公共の空間に知識がひろまるのを許可しないこと
この用法は18世紀の啓蒙主義者らによって普及した。そのため、狭義には、新しく合理的な概念を拒絶し、古い権威を蒙昧的に擁護する態度を意味する。
中国語ではObscurantismは「愚民政策」として翻訳されるが、それはこの意味に限定したものである。
2)文学や芸術や思想などで、意図的に曖昧または難解な表現を使うスタイル、のことを一般には意味する。
この用法ではカタカナでオブスキュランティズムと書かれることが多い。
日本語では類似する語として「韜晦趣味」また「衒学趣味」がある。


わたし、自分の文学の好みが2の意味で蒙昧主義的であると言えることを知りました。

自分もあからさまにせず、わざとぼかして言ったり書いたりするのが好きだし、文章を読むときは平明であるより小難しくて直截的でないのが良い。

そのほうが余計に楽しむ余地がある。

と思う。






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While the sentiment is appreciated, [読書日記]


ネタにしまくってますが、先日、初めてインフルエンザに罹りました。

38℃以上の熱を出したのも初めてです。たぶん。

人生に厚みが出たように思います。これでインフルエンザに罹った人の気持ちもわかるというものです。

隔離期間中、当たり前だけど家から一歩も出られず、ゲームも自粛していたので本を読みました。買い置きの本は山ほどあるし、電子書籍も書い放題。そして進行中の本も数冊ある。なので





は読み終えました。スペインに関して初心者には意味不明の単語の羅列でしたが、でも面白かった。スペインの無脊椎化とか示唆溢れて興味深い読み物でした。


とはいえ、あんまり難しいのは疲れるので、スペイン史の後はこれ





を読みました。

作者キルメン・ウリベは処女作がとてもよかった。




でも今作は、わたしはあまり合いませんでした。おおむね、悪くないのだけど、うーん、こういうコラージュのような書き方の場合、超越した主観の存在に気づかされると在り来たりになるように思います。コラージュは作品そのものの偶然性と受け取り側の感受性に依存しているからこそ面白いのに、発信者の主張の骨子がありありと透けて見えるのは興ざめ。という感じ。素材はいいです。すごく。感性は素晴らしいと思います。でもまあ、わたしは文学者ではないので難しいことはわかりません。端的に、星3つ、というところ。


今は引き続き、煉獄の誕生を読んでいます。形容詞的副詞的”煉獄なるもの”が名詞”煉獄”になり、異端カタリ派やヴァルド派との差別化によってカトリック教会内での地歩を固め、ギリシヤ人(正教)との論争で、空想を埋めていくところ。12世紀、13世紀に入っています。



さて、タイトルは今読書会で読んでいるリージェンシーものから。

気持ちは汲むけどね、

という意味かな。お気持ちは嬉しいけれど。


そんな感じの、いろいろあったこの頃でした。







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