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The Best of 2016 [読書日記]


電子書籍で英語の本を読み始めてから、うーんと、3年?くらい。

今年は、さるMM読書会に参加して、月に一度課題図書をみんなで読むという楽しさを覚え、
英語を読むスピードも少し上がったように思います。

私は趣味、というより生きがいが読書だし、読書で何か広がりを持ていないと嘘だろう、と
数年前、ある日突然思ってから、でもそれはどうやれば良いのかわからなかった。
読書で繋がりが持てないなら、それは私の人格のせい?
いやいや、私はそんなに社会性がないわけでも性格が悪いわけでもないはず。
…たぶん。たぶんね。努力はしてる。

でも、今年の春に、今の読書会にご縁ができて、一つ、私が憧れていた交わりが持てたように思います。
本の世界はそれぞれの入り口から入るもの。一つの本に唯一の世界があるのじゃなく、読む人ごとの世界があると信じています。だから同じ意見である必要はなくて、読書を通じて他の人の世界を知れることがよほど価値のあることです。

来年は、MMロマンスじゃない本読みのほうでも誰かと繋がりが持てたら良いな、と思っているのだけど、まあ、あせらずゆっくり運に任せたいと思います。


さて、恒例の今年のベスト3を。

今年は12冊の紙の本、24冊の電子書籍を読んだようです。

その中で一番心に残っているのは、



良くも悪くもこれ。
英語がすこし難しくて、よく理解できない箇所があり、読み落としや間違いもあるかもしれないから、もう一度読み直せば良いと思うのだけど、読むのはいやだ。邦訳されたら読む?読みません!
他の人におすすめもしないけど、心奪われるような印象深い作品です。



それから、これ。




難しかったけど、為になった。私がいろんな本を読むのは、自分一人で解脱したいからなんだなとわかりました。


そして、大好きなCiaran Carson




私の考え方や文の好みは、プルーストとカーソンで形成されました。


それではみんな、来年もまたよろしくお願いします。








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Which is, and which was, and is to come. [読書日記]




読み終わりました。

邦訳されても売れないだろうけど、私はこれと、The Pen Friend がすごく好き。楽しませてもらいました。キアラン・カーソン、ありがとう。



読書は体験だと思います。読んでいると、頭の中で繰り広げられる様々なイメージ、世界、感情の渦。


And it occurred to me that reading is itself a form of translation, for every reader must interpret what he or she reads, visualizing the action or the scene described in his or her own way.

読むことは、それ自体がひとつの置き換えだと私は思った。読む人は誰もみな、彼がもしくは彼女が読むものを自分なりに解釈し、心の中に思い浮かべるから。


Each of us enter the room in the book in our own way.

我々は、それぞれ、自分なりの方法でその空間に入り込む。


A human being is a story-telling machine, and the self is a centre of narrative gravity.

人間は、物語る機械であり、そして彼自身、物語が集約する中心なのである。


私自身がグラビティであって、私が読んできたもので心に残り、思い出そうとすれば浮かんでくるもののかき集めの総体が、この読書日記で書きとめたいと思っていること。



物語の最後のほうで、キルパは謎めいた地下室で、かつての友に再開します。

そこは不可思議な空間で、雑多なものに満ちている。
彼は一台の自転車に目を止める。

それは美しい6月の朝。13歳の少年のころ。
快晴、青空、流れる雲。田舎道を走っていく、あの自転車。

This summer afternoon has always existed.

And I am unbearably happy because in this endless moment I do not know who I am because I am everything around me.





…あれ?午後なの?



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Full Fathom Five [読書日記]


カタカナ英語の響きは良いんだけど、英語の発音だと難しそう。
ふるふぁぞむふぁいぶ。
ちょっと発音してみて、fとlとthとv



fathomは前に読んだCarsonの The Pen Friend で印象的だったので覚えた単語です。

海の深さを測る単位である、「尋(ひろ)」、それから動詞として「推し量る、見抜く」


And I saw a glint in your eye I found difficult to fathom.

そしてぼくは君の目の中に、難解な光を見た。

突然姿を消してしまった謎めいた恋人からの不思議な手紙を巡り、過去を思い出す主人公、
の、お話。



ふるふぁぞむふぁいぶについて言えば、これはシェイクスピアのテンペスト、「嵐」の中に出てくる詩のことば。
父なる王は五尋の水底に横たわり、その骨は珊瑚、その目は真珠となりぬ。
私もこの詩が好きで、出だしだけ覚えています。

wikiで調べると、こうあります。

"Full fathom five" is a catchphrase deriving from a verse passage, beginning with those words, in Shakespeare's The Tempest. Its original context, during a storm and shipwreck.

「ふるふぁぞむふぁいぶ」はこれらの言葉から始まるシェイクスピアの「あらし」の中の詩に由来するキャッチフレーズです。


Full fathom five thy father lies;
Of his bones are coral made;
Those are pearls that were his eyes:
Nothing of him that doth fade
But doth suffer a sea-change
Into something rich and strange.
Sea-nymphs hourly ring his knell
Hark! Now I hear them – Ding-dong, bell.

— William Shakespeare, The Tempest, Act I, Sc. II


This three-word phrase has been repeatedly used in English-language culture, alone or in the context of larger parts or the whole of the passage, or referred to via abridgements of it, over the four centuries since its composition.


400年来、英語圏で繰り返し使用されて来たというのはやはり、語呂が良いからでしょうか?
しかし、キャッチフレーズって。。。どんな?



さて、Full Fathom Five は、Exchange Place の章のタイトルでもあります。


What can the little seahorse know of fantastic ecosystem? We cannot know. But we can say that its experience is a microcosm of the ongoing, thousands of years old saga that is the life of coral reef, and which, like the human brain, we have yet to fully fathom.



海馬は記憶や空間学習能力に関わる器官である。その名はラテン語で hippocampus、形態が英語でいうseahorse、タツノオトシゴに似ているから。

キルフェの失踪した友人、画家のHarlandが残した日記にはこう書かれている;

「時々、僕は人間の意識を海底都市のように捉えてみる。骸骨が積み重なって出来た建物、生命に満ちたネクロポリス。
小さなタツノオトシゴが不思議な生態系の何を知ることができるだろう?我々にはわからない。しかしそれらの経験は、いまも進行中の、何千年にも及ぶ物語の縮図であるといえるだろう。珊瑚の寿命のような、また、人間の脳のように、我々がまだ完全に理解していない物語の。








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that seemed very apropos ; 沈黙のことば [読書日記]

When I opened it my eyes fell on a sentence that seemed very apropos. Library angel sort of thing.

ページを開くと、ぴったりなセンテンスが目に飛び込んでくる。本の天使、のようなもの

Exchange Placeより





読み始めました。

これは教えてもらって取り寄せた本。
年末までに読み終えるように、分厚さや文字の分量を考慮して、内容の予備知識や予想なしに積んである本の中から手に取りました。
いつものように「序」の部分から丁寧に読んでいきます。
するとどうやらこれはアメリカの学者が、アメリカ人について、アメリカ人は世界にむけて貢献しているつもりでもつねに自己流を通して顧みない為に愛されるどころか尊敬も勝ち得ていない点を指摘し、その原因を探り、外国に出るアメリカ人にどうしたら外国の文化や違う考え方の存在に気づくことが出来るか、レクチャーしようという本であるらしい。
アメリカ人にもそういう繊細な部分があったとは驚きです!(注意:わたしは反米ではありません)


日常たえず自分で用いているにもかかわらず、ほとんどのアメリカ人は、「沈黙のことば」については、全くといってよいほど気づいていない。(9ページ)


なるほど。異文化ではよくあることですね。


かれらは、われわれの時間の処理のしかた、空間的関係、仕事や遊びや学習に対する態度を規定する、行動様式がどれほど手の込んだものであるかを認識してはいない。言語的言語以外に、われわれはたえず「沈黙のことば」、すなわち「行動の言語」を用いて、真の感情を伝えているのである。


ん? (`・ω・´)

<かれらは、われわれの時間の処理のしかた、空間的関係、仕事や遊びや学習に対する態度を規定する、行動様式がどれほど手の込んだものであるかを認識してはいない。>

文章は間違っていないけど、なにかがおかしいです!
これは考えてみなければ!(楽しくなってきました!)

前後の文脈から「かれら」は「アメリカ人」。そして前後の文脈から「われわれ」も「アメリカ人」。だって、アメリカの学者が書いてるのだもの。
でもかれらとわれわれは対立しているはず。
それから「規定する、」の句読点はいらない。「態度を規定する行動様式」のはずです。
要は「かれらは、行動様式がどれほど手の込んだものであるかを認識していない。」と言いたいわけで、その行動様式は「沈黙のことば」に関わるものであるはずです。なので

「ほとんどのアメリカ人は、他者の時間の処理のしかた、空間的関係、仕事や遊びや学習に対する態度を規定する行動様式がどれほど手の込んだものであるかを認識してはいない」

なら、意味がわかる。
あるいは、
「かれら」は、英語ではTheyだったはず。この三人称複数は「沈黙のことば」を指していたかもしれない。そうすると、文章は間違ってくるのだけど、勝手に直すとして

「沈黙のことばはわれわれの時間の処理の仕方、空間的関係、仕事や遊びや学習に対する態度を規定するものであって、ほとんどのアメリカ人はそれがどれほど手の込んだものであるかを認識してはいない」

となる。ここでの「われわれ」は人間一般ということになりますね。ひゅーまんびーいんぐ。

わたしにもっと英語の知識があれば、もとの英文の構造を想像できるのだが。(できない)



…ここで10分くらい楽しんでから先を続けました。


アメリカ軍が駐留している国で、なんらかの事件がおきることは回避できそうにない。しかしながら、われわれの事後処理のやり方がまことに不手際なために、事件の多くはさらに悪化している。事件がおきた際に、どうしたら火に油を注ぐことにならないかを、アメリカ人は全くといってよいほど知らないのである。

12ページ


ふむふむ。タイムリーじゃないの?これ。
ほら、例の…。

いつ出版されたんでしょうか、と思って巻末をめくると、日本での翻訳の出版は1966年、私が手にしているのが2011年の48版目のようです。へえ…

筆者の経歴は見当たらなかったので訳者あとがきに目を通すと、


本書は現代アメリカにおける気鋭の文化人類学者として知られる、エドワード・T・ホール博士の著書(1959)の全訳である。

と書いてある。なるほどー、60年近く前の話。
さらに続きを読むと、

同博士については、巻尾の原著者紹介を参照していただきたいが、

とある。巻尾…?巻尾って、どこ?

表紙の裏の、英語で書かれた版権みたいなもののこと?
それとも版を重ねているうちに抜け落ちたんでしょうか。


ないです。


まあともかく、アメリカ人も自分が好かれていないことを60年前から気にしていながら、対応できていないわけね。おうけい、と微笑ましい気分になりました。


それから第1章「時の伝えるもの」を読み、アメリカが戦争に勝ち、繁栄したのにも頷けるわな、と納得。なかなか面白い本です。続きを読むのが楽しみ。




先日スマホカバーをインターネットで購入し、品物が届きました。
木製のカバーで、折り目のところは革になっています。
うん、満足。
どこ製だ?と思って同梱のカードを見ると、二つ折りの面の面には、

THANK YOU!

We appreciate your purchase and forward to hearing from you.

お買い上げありがとうございます。そしてご意見をお待ちしております。


カードを開くと

Without your review, We won't know whether you like the item, and also your valuable suggestions.


う、うん。


sort of thing.




















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Apparition of the Reich:アメリカ大陸のナチ文学 [読書日記]




読みました。

これからはラテンアメリカを勉強したいと思っていて、ボラーニョは2666を読んでいるし、ウルグアイが舞台の「最終目的地」なる映画もこないだ観たから、なんとなくその気になって。

というよりは、

年末までに読んでしまえる分量の本、と思ってこれを選んだのだけど、読みやすくって予定より早く読み進めてしまいました。
私は女流文学というものが苦手で全く読まないのだけど、この架空の作家たちの人物伝の中で、女性作家はとてもとても生き生きとして映り、魅力的だったのはどうしたことだろう。ルス・(サーネームわすれた)の晩年なんか見事だった。目の前で燃え尽きる星のようだった。
最後の「忌まわしきラミレス・ホフマン」では、いきなり1人称「僕」が出てきて違和感。そしてそれがボラーニョ自身だと知る。それではこれは架空の話に紛れ込んだ作家本人なのか、それともどこかに、これまでにも現実が潜んでいたのか、と、途方に暮れる。おぞましい行為自体は語られないがその存在が物語られる。ボラーニョの本領発揮。ラテンアメリカの風景に溶け込み、ヨーロッパへも飛び火する。


ところで、先にあげた「最終目的地」なる映画ですが、これは親の世代に南米ウルグアイに移民してきた裕福なドイツ系作家(自殺)の残された家族を主題にしていて、未開発の自然の風景、白人の女たちの生き様が印象に残った作品でした。作家の伝記を書こうとその地を訪れる青年オマーは何系だったかな。パレスティナ?でもウルグアイの土地の人はほとんど主題に上らない。

なぜ南米に親ナチス的な文学を想像する余地があるのだろうか?
そもそもなぜ、ナチスの残党は南米に?
スペインや植民地国家が乗り込んできた時にいた現地の人たちは今はどこへ。
いま、南米にいるそれぞれの国の混血、非混血の人たちは自分たちを何人だと思っているのか。


そういったことが気になって、知っておきたいと思っている。






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the phantom in the brain [読書日記]

But anyway the point is through language we make up a fictive self, we project it back into the past, and forward into the future and even beyond the grave. But the self we imagine surviving death is a phantom even in life. A ghost in the brain.


でもまあ、要は、俺たちは言葉を通して架空の自分を作り出し、過去に当てはめ、将来に投影し、あまつさえ、墓に持ち込むってことだ。だけども俺たちが想像する不滅の自己ってのは、むしろ幻影だ。現実では。頭の中の幽霊ってやつだ。


the self we imagine surviving death is a phantom even in life のところがちょっとわかんない。Exchange the Place 、半分くらいのところで中断しておりますよ。だって2人のキャラクターが交錯する上に偽名を使ったりするので混乱するんだもん。でも今日、LLを読み終えるので、17日に読書会の今年最後の課題図書を読み始めるまでに、集中して読んで読了したいと思う。



一方で、




を読み終えました。楽しかった、面白かった、というお話ではないのだけど、やっぱり楽しくて面白かった。エーコがまだ生きていたら今の世界情勢をどう落とし込むかな、と考えずにはいられない、モヤモヤした気持ちになりました。


そして今はこれを。




今年中には読み終えるかな。





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