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You won't say the words. [読書日記]


行き帰りの通勤電車での読書時間を費やす様になったので、やっと70%まで読み進めました、The meat loves the salt

またしても、ヤコブ。
軍隊を抜ける前に、あの少年を愛していたんじゃないかとフェリスを問い詰めます。
それに対してフェリスは、

It was never a secret that I like Nat. Now forget him, he's past.

おれがナットを気に入っていたのなんか秘密でもなんでもない。でも今は忘れてしまったし、もう過去の人物だ。ーー忘れてしまったのか?おれは選んだんだ。ナットじゃなくておまえを。

'We already belonged to each other,' he lay back on the pillow and put his hand on my chest, stroking me.'Very well, I loved Nat. But I belong to you.'


この’belong’ね。

これも私の琴線に触れます。前に印象的だったのは、ジョシュ・ラニョンさんのFair Gameで読んだ時ですが、これは翻訳がそのうち出るそうなので、お楽しみに。

おれのものだ、おまえのものだ、というのは、Possesion、所有欲ですね。

この字面がアツいのはわかるけど、現実ではめんどくさいものなのに、どうしてロマンスに多用されるのかな、と考えていくと、興味深い気がします。

読み手として、自分の場合は、Fair Gameで読んだときは、うはwと思ったのだけど、ヤコブとフェリスのこの会話では、苦々しい味しか残りませんでした。

もちろん、愛には変わりないけれど、もっと他の切実で利己的な欲求のようで、縄でもつけられているような感じがします。

フェリスがこう言いだしたからには、なにか、不穏な展開が待っていると思わずにいられません。(まあ、そうなんだけど)









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The Flower , The Song [読書日記]



読み始めました。

「2666」を読んで、メキシコの麻薬戦争に衝撃を受け、たいへん興味を持っているので。

まだ読み始めたところなのでこの先どんな展開になるかわからないけれど、最初から飛ばしてます。重たく、残酷。でも、こういう話はすでに現実のニュースなどで見聞きしているので、今更驚きません。


さて、メキシコの麻薬戦争にひっかけて、私が思い出しているのは

in xochitl, in cuicatl

インショチトル・インクイカトル

これは私がいままでに度々取り上げてきて、ゲームキャラの名前にも使っている言葉ですが、もとはエリアーデの世界宗教史を読んでいて見つけた言葉。



花と歌

「繰り返し説かれるように、『花と歌』は『自己の心との対話』を習得した者の魂のなかにのみ存在する。これは一種の内奥の自己の神格化に結実し、『神格化された心』は『事物の神格化』に駆り立てられることになろう。こうしてあらゆる存在のなかに『花と歌』が注入されるのである」
ちくま学芸文庫「世界宗教史7」第40章メソアメリカの諸宗教ー都市と象徴 80ページ


こうした哲学が醸成される背景には、メキシコ、アステカ文明の風習;

さまざまな一次資料が、多岐にわたる供儀の技法をあきらかにしている。そのなかには、斬首(通常は女性に対して)、槍や矢による射殺、溺死、火焙り、高いところからの投下、絞殺、生き埋めによる餓死や剣闘士として戦わせる方法があった。


首を斬って脳を取り出し、皮を剥いだあと、頭蓋骨はツォンパントリと呼ばれる頭蓋骨の棚の上に並べられたが、それは頭蓋骨をいっぱいぶら下げて水平に並べた棹からなっていた。往々にして捕虜の所有者は、たとえば胡粉と鳥の綿毛などで飾り立てられ、贈り物を与えられた。その後、親戚達とともに彼は儀礼的な食事をした。それは「トラカトラオリ」と呼ばれる乾燥トウモロコシのシチューで、……それぞれの椀には捕虜の肉が一片ずつ載っていた」。


アステカの大多数の貴族達のあまりに攻撃的な宗教諸慣行に関してつぎつぎと生じる疑念に困惑し、これらの哲学者たちは1430年から1519年にかけてある思想と審美的な儀礼の一派を打ち立てた。

こうした系統の探求のひとつには、ますます増大していた悪弊、すなわち人間の心臓を神々の食物に変えるという人身供儀に対して、批判を加えることを目的としていた。

ということがありました。



これらの引用は、ただアステカ文明が野蛮だったと論いたいのではなくて、それより私が感じているのは、こういう残虐性はあまねく人間の陥りやすい暗部であって、かつそのような苦境の中から仏教の悟りにも似た哲学が生まれるのだなという、霊長類の中の最大種族たる人間の、向光性への可能性なのでした。


「翡翠が砕けケツァールの羽がばらばらになる」この世界、すなわち貴重なものが衰微してゆくこの世界では、通常の言語や思考のなかには基盤も心理も永続性もなかったのである。こうした弱々しい実存のあり方が、トラマティニミの次の様な問いを導いたのだった。「おお神よ、あなたは我々を嘲笑します。おそらく我々は実際には存在していないのでしょう。あなたにとって我々は、あるいは無なのでしょうか。」


これは現代においても繰り返され、消え去ることのない問いかけでしょう。


あらゆる災厄のあとでも、「花と歌」のような、自己と他者への尊重が、芽生えますように。

というのが、私がいつも思うことです。




















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英語のこと [手記]


わたし、漢文でも古典でも英語でも、「自分で訳す」のが好きで、他人が訳したものを自分の日記に書きとめたくはないという気持ちが強い人間です。
原文から受けたインスピレーションとか、自分の中に形成されたイメージを、じっくり眺めて、自分の言語でアウトプットしたくなる、そういう感じです。

なので、気に入った言葉や詩を見つけると、自分で訳してみたくなって、それで書いていってますが、ちゃんとしたスキルがあるわけではないので、これが正しいと主張しているわけではありません。間違っているところも多いし、見当違いな部分もあるかと思われます。

むしろ、気がついた方にご教示いただけるかもしんない、と思って載せている部分もあります。

さっきの最後の2行目のところ、

and upon my asking him in the morning had I spoken or struggled, he said no, I had been still and quiet all the night.

私の能力では追いつけない書き方なのだけど、morning の後にthat を入れて、had I spoken は仮定の倒置法なのかな、と推測してみました。でもなんか変だなあ。難しいです。

こういう、思いついて付け足し付け足しするような書き方(で表される主観、たぶん、そんな感じと受け取っています)は好きです。



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いたらまだ、静かな夜。 [読書日記]


Afraid of the nightmare,
I crept into Ferris’s room and folded my arms about him.
He sighed happily and pressed against me,
and I kept him as close as an amulet.
Clasping him thus, I felt myself safe;
my dreams were innocent,
and upon my asking him in the morning had I spoken or struggled, he said no,
I had been still and quiet all the night.

再び悪夢を見るのではないかと恐れて、
私はフェリスの部屋に忍び込み、彼を腕に抱きしめた。
彼は満足そうなため息をつき、その体を押し付けてきた。
私は彼をますます深く抱き込んだ。お守りを胸に押しつけるみたいに。
そうすると、自分が守られているような気がするのだった。
悪夢は来ず、
私が話したり拘っていたら彼は否定しただろうあの朝のやりとりがあるにせよ、
私は一晩中、穏やかで落ち着いていた。


最後の2行、ちょっと意味がわかりません!
俺を愛しているのか、いつでも受け入れてくれるつもりがあるのか、という問いのことなのだと思うのだけど。


でも今日書きたいことはそういうことじゃなくて、

I felt myself safe

せーふ

この言葉、最近ちょっと気になる単語です。

何週間か前に、Jessie Jを聴いていたら、L.O.V.Eという曲の歌詞(2011年?)に

keep me close, keep me safe, keep me happy

そばにいて、私を守って、幸せにして

というのがあって、現代社会では愛に安全性が含まれるのだなあと思って聴いていたのですが、

また最近では、ちょっとしたきっかけで、イギリスの飛び込みの選手でトム・デイリーくんという人が男性とのリレーションシップをカムアウトした時の動画(2013年)を見ていたら、

so safe

と言っていて、(前後を理解していませんが)

相手との関係において、より幸福で、安心していられて、とても素晴らしいのだと言っているのだと解釈し、(ちがうかも)


あ、ここでもsafeっていうんだなあ、流行ってんのかなこういうの、と思ってました。

こういう言い回しは多いそうです。

You make me feel safe


それで、As meat (2011年)を読んでいると、3回目、出てきたのですね〜。

ふんふん。

楽しい。





ちなみにタイトルは、

I had been still and quiet all the night.

が自動翻訳されたらこうなって、それがとても面白いし良いと思ったので。

(いたらまだ ってどんなスペイン語かと思いました。)




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You love me [読書日記]


ヤコブは、めんどくさいやつ。

愛しているかどうかいちいち口にしてきます。読んでいる私の感覚からいうと、ちょっと呆れるほどめんどくさい。一方で、今村大将が言うような”純な”やつだとも思います。ソフィスティケートされたフェリスには魅力的でもあり、御しきれない相手でもある気がする。


さて、今朝読んだところ。じっくり考察したいと思ったので、以下に書き留めておきます。

‘You said this morning you loved me as meat loves salt.’ I think he knew what I was leading to, for he glanced at me and kept silent ‘Ferris, you will let me come to you?’ ‘Even if I am miserable?’ he answered. ‘I have to come in, I have to.’ ‘You have to. Jacob, how do you love me?’ ‘With my body I thee worship.’ That was half a jest, but only half. ‘Say rather you love the meat that loves the salt.’


ー今朝、meat loves saltのように愛しているといったけれど、フェリス、行ってもいいか?
ーもし俺が不幸のどん底でそれどころじゃなくても?
ー行く。行かずにおれない。
ーそういう男だお前は。なあ、ヤコブ、お前こそどんな風に俺を愛しているんだ。
ーこの身をもって、あなたを崇拝している。
ーむしろ、塩を愛している肉を愛していると言えよ。


こんな感じなのかな?かなり自分流に解釈しましたけど。
言葉の使い方もその意味するところも難しい。

let me come to you は、物語の中盤でのフェリスの手紙以降、come to me とかこういう表現があって、それを”受け入れてくれますか”というニュアンスで読んできて、ここでもそんな感じなんだと思うんだけど、他に、部屋に行っていいかというふうにも受け取れるなあ、と思う。もう受け入れあっているのでね。今晩、そっちに行っていい?みたいな感じ。

as meat loves saltのように愛しているといったからには、空気と同じくらい必要なもので心から愛しているということなのだから、こういう(今ちょっと複雑な状況になっています)時でも俺を受け入れてくれるだろう?とヤコブは確認したい。フェリスもみなまで聞かなくてもas meat loves salt と言えばわかるだろうと言っている。

それに対して、自重することはできないのか、とフェリスは言いたのだろうと思う。You have to, でもできないのがヤコブで、そんなヤコブを選んだのはフェリスだから。どんな風に愛しているんだ、いったい、俺を、と聞いてみる。なんだかDVのパートナーに溺れているひとみたいです。ここがcome toじゃなくてcome in になっているのがちょっとよくわからないけれど、より前進している感じなのかしら。副詞は難しい。

worship、最初に会ったとき、フェリスは行き倒れていたところを拾ってくれた。それから兄のイジーのように善なる心の持ち主で、自分の暴力的なところを啓蒙してくれると思った相手だからこそ、ヤコブはフェリスを崇拝している、と半分冗談半分本気で答える。

そういうヤコブだからこそ、軍隊を抜け出すときに一緒に連れてきて、そしてずるずる深みに嵌っていってるのに、皮肉を言わずにいられないフェリス。相手を、欠かせないものと思うくらい恋に落ちている、そういう俺が好きなんだろう、と言っている。

その答えを聞いて、ヤコブはすぐには意味がわからなくて、ちょっと考えて、それからinsult 自尊心を傷つけられたと感じます、それからーーー。


今朝はここまで。



流して読んだときにはここまで考えなかったけど、書いていくと、納得できた。やっぱり書くのは良いね。



ところで、わたし、ずっとヤコブだと思って読んできたけど、自動翻訳してみたら、
ジェイコブって出てきて、ガツンときました。



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Love like salt [読書日記]


'Say you love me,' I ordered.
'As meat loves salt.'

日本語にしようがない。二行目。

「俺を愛していると言え」、と私は命令した。
「肉が塩を愛するように。」

これではちっとも伝わらない。そりゃ、ヤコブは塩漬け肉が好物だけれども。

以前の日記で調べたことを書いたことだけれども、ヨーロッパに広く伝わる民話に、父が自分の娘達に対して自分への愛情の深さを測ろうとする一群の物語があって。上の娘たちはそれぞれ、きらきらした分かりやすい例えで答えるのだけど、末の娘だけ、「肉が塩を愛するように」とか、「ひとつまみの塩のように」とか答えて、父の不興をかい、追い出されてしまう。でも結局本当に父を愛して大事に思っていたのは末の娘だということが物語の最後に明らかになる。というパターン。
これらのコンテキストでは「肉が塩を愛するように」は、結果として「真実の愛」を表していることになる。

この民話を共有している人の間では、その意味が伝わるのだだろうけども、日本人にはあんまりよくわからない。それより、この言葉、ちょっと現実的、直截的過ぎるし、生々しいような印象も受けます。

もちろん、As meat loves saltの二人はそのコンテキストの中にいて、これで話が通じるのだけども、ヤコブがその返事を聞いてどう感じたかは書かれていなくて、それよりも、このシーンの少し前にあった、"I was delisious" 、ヤコブが、自分は’美味しい’ご馳走で、生きていくために必要なものとはみなされていない、と感じたことなどが思い出されて、この言葉は2重の意味を含んだ、甘くて苦々しい印象を残します。

ちなみに、このセリフ、作品のタイトルである上に、第20章のタイトルでもあって、やっとこのセリフが聞けた!!!と、かなりテンション上がりました。


でも甘い雰囲気ではちっともなくて。物語はまたさらに展開していきます。


'I'm coming in to you no matter what,' I whispered.
'Then bolt the whoreson door!' he hissed back.


 Σ(◎_◎;) ほわ



※whoresonとは 主な意味 馬鹿で苛立たしくあほらしい人々に対して向けられる侮辱的言葉、未婚の両親から生まれた非嫡出子





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I was delicious. [読書日記]

わたしもね、あんまり本文の引用したり、ネタバレしちゃいけないと思うのだけど、読んでいると猛然と誰かとお話ししたくなるところが出てくるし、でもその相手はいないので、読書日記に書いておきたくなるのですよ。

As meat LOVES salt


軍隊にいたときとロンドンでは、フェリスは全く別人のよう。尊敬できる面と、わがままな振る舞い。

それに物語はヤコブの一人称で書かれているので露骨にではないけれど、フェリスはヤコブと喧嘩をしては、朴訥な彼を手玉に取るようなことを、どうもしている。


"What did I say to you last night?" He cocked his head to one side, smiling, teasing me. "Does a man who says that want to stay away?"

heはフェリス、thatは、初めて会った日のことを、どんなに衝撃的に素早く恋に落ちたか、焚き火の側でヤコブが服を脱いだ時の喜びと、そしてそれをヤコブに知られることへの恐れで息が止まりそうだったかを話してみせたこと。


ヤコブはそれを聞いて、嬉しい。彼の神はどこへいったのやら。

このまま2人でアメリカへでも行けば良かったのに。そうしたらまた違った未来があったかも。


けれども

It seemed that, like wine and tobacco, I was delicious, but still not reckoned a necessity of life.










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God Forgive Me [読書日記]


つまり宗教を危うくするのは、宗教を擁護することを目的とした、宗教の合理化の企て一切だった。ライプニッツは1703年あるいは1704年にはすでに、ヨーロッパで文化革命が準備されていることを確信していた。難破した宗教を助けるためには、宗教を理性の上に据えなければならず、啓示の書物の上ではもうだめだった。(中略)
だが宗教を理性かするということは、どの道いつか宗教を世俗世界のなかに取り込んで、宗教を殺してしまうことではないだろうか?こうしてキリスト教は18世紀にはそのもっとも誠実な擁護者、すなわちライプニッツに多くを負う理性的なキリスト教徒たちによって内部から蝕まれていくことになる。

(「ひとつの精神の危機からもうひとつの精神の危機へ」402ページ)



『無神論の歴史』、今読んでいる他のすべてのものに引っかかってきて、とても楽しい。

例えば、このほど読書会で読み終わった吸血鬼のお話。




これなんか、出てくる吸血鬼がとても内省的で、100年、200年と人間の血を吸って自分の存在を維持していくうちに、その営みがとても無意味なことだと思えてくるそう。時代はアメリカが独立した(独立戦争1775-1783)後の1799年のこと。ただし吸血鬼はそれ以前の数世紀を生きて?いるので、人々や社会の変遷をつぶさにみてきたことだろうと思う。この時代、啓蒙思想が広まったとはいえ、まだまだアメリカではキリスト教的価値観が社会を支配していた。そういう環境で二重に罪を犯して生きていくこととはどれほどの重みか…!(まあ、そこはあまり掘り下げていなくて、ロマンスだからハッピーエンドで終わるんですけど。)読書好きで開明的なウィリアム青年は理神論に近づいていく世界観を体現しているんだと思います。


一方、恋をしていることにえらく前向きだったのが、これ



1893年だから、さっきのより100年後のイギリス、ヨークシャー。その頃といえば、ヴィクトリア朝で、切り裂きジャックの少し後、シャーロックホームズの冒険が発売されたのと同じ頃のよう。物語は古城の主人の双子の男の子のところに家庭教師をしに行くところから始まるゴシックホラーロマンス。館の主人は自分の性的傾向に怯え、封印し、罪の意識に苛まれながら生きているけれど、下層生まれの主人公は同性愛行為に慣れているし、罪悪感も抱いていません。愛は何ものにも勝る、という終わり方。これには、悪魔というか、邪悪な存在が出てきて、神も天使もそのイメージ的なものは出てきますので、じゃあ信仰の世界を取り戻すのかと思いきや、そこはロマンスなので(同性愛は罪ですからね)、信仰そのものは回避され、より現代的、オカルトちっくな理神論的世界だと見受けられました。


そして今(まだ)読んでる、As meat loves salt は17世紀中頃のイギリスの話だから、市民戦争の頃、先の2つよりまだ古い世界観。この先、無神論的興味からは楽しみですが、物語的にはとても気が重い展開になりそうです。がんばって読みます。


まあそんなことで無神論の歴史を読みながら、その時代に当てはめて、M/Mを読むのはなかなか楽しいことでした。
ほんとうに、買って良かった。この本。


さて、最初の引用文に戻って少し。

17世紀にもなると純粋な護教的な運動に無理が出てきます。人々は物事を理解しようとするほど、何千年も前に書かれた書物に合わせることに不可能性を感じるようになる。結局は、万人が、永遠に、聖書に書かれたままのことを完全に信じる状態を保持することはできなくて、それぞれが社会環境や利益に合わせてアドジャストするようになってしまう。こういうキリスト教価値観の弱体化をイスラム教の指導者は見て、世俗主義を排し、原理主義に戻ろうとしているのかな、と思います。


『無神論の歴史』、もうすぐ上巻を読み終わり、下巻に移ります。現代の無神論の世界が楽しみでならない。










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Remember me [読書日記]


セントポールへの散歩から戻った二人。

フェリスは、聖書に書かれた物語を揶揄し社会の歪みを批判するパンフレットをヤコブと読み、感銘を受け、ヤコブに「どう思う?」と聞きます。

It seems to me,’ I answered, hesitating, ‘that it is a curious thing to be reading such matter as this and have a woman serve us. The last time I read such things I was a servant myself, and now I have one, or rather,’ for I saw the chance of a jest against him, ‘you have one. Are we not lording it over her? I could fetch bread or make salep, could not you?’

こういうところ、ヤコブは正直で善良。

「俺にとっては、」と私は躊躇いながらもフェリスをやり返すつもりでこう答えた。「女のひとにサーブしてもらいながらこういうものを読むのは奇妙な感じがする。以前にこういうものを読んだ時は俺自身が使用人だった。それが今では逆に俺がサーブしてもらう立場で、というかきみが、だけど。俺たちは彼女に対して横柄じゃないだろうか?彼女に頼まなくてもおれは自分でパンを持ってこれるし、サレプを作れる、そうだろ?」

フェリスの家は裕福で、若い女の子のお手伝いさんがいて、彼らの世話をしてくれているのです。

平等な社会への夢を語りながら、一方では使用人を使うことに慣れているフェリスは、ヤコブの指摘に戸惑います。彼女はそういう役割だから。彼女は叔母さん(フェリスの親代わり)の女中だから。


ところでこのお手伝いさん、ヤコブに好意を持っていて、ヤコブはそれを受け入れるつもりはないけれど、まんざらでもない。そうしてフェリスは行動の端々から、密かに嫉妬しているように見受けられます。ヤコブはそれに気づいていないのだけれども。


お互いを大事に思いながら、何かがちょっとずつズレて軋んでいる関係。

そんな風にして過ごしたクリスマス前後。

ヤコブはフェリスから、大聖堂の絵と、ロンドンの地図をプレゼントしてもらいます。

行ったことのある場所を教えてもらいながら地図を覗き込んで興味津々。とっても嬉しいヤコブ。

'Many, many thanks! The best gift I ever had--'

それにこんな風に自分の興味のあることを気に留めて、心遣いをみせてくれたことが嬉しい。

'Something to remember me by,' he said as I released him.

'It needs no gift for that.'













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For atonement [読書日記]

軍隊にいた時は理性的で、模範的な人物なんだと思われたけど、ロンドンの自分のホームタウンに戻ってくると、ふさぎ込んだり自分勝手をして、ヤコブを振りましているフェリス。


都会の裕福な商人の家で、軍の中に身を置いていたときとは比べ物にならない安楽に暮らしながら、ヤコブもフェリスも胸に秘密を抱え、思い悩み、お互いの気持ちがわからないでいる様子。


ある日、ヤコブはフェリスに、セントポール界隈へ気晴らしの散歩へ連れて行ってもらいます。

No sooner had we got free of this coney-warren than we were swallowed up in the scum of little shops around Paul’s, many of them pasted up against the walls of the place itself, so that its fabric looked to be completely smothered. I stopped and said to Ferris, ‘We had an engraving of this. It showed the whole. But where could the artist have stood?’ He considered. ‘I don’t know. There’s nowhere I know of where you can see it complete.’

それまで通ってきたうさぎの巣穴(のようなゴミゴミした通り)から解放されるや、今度はセントポール寺院の建物の周囲を埋め尽くす様々な小店に囲まれてしまった。私は立ち止まり、フェリスに言った。「以前、セントポールの版画を持っていたけど、その絵では全体が見えた。でもこんなんじゃ、画家はいったいどこから描いたんだろう?」フェリスはちょっと考えて言った。「さあね。建物全体が見えるような場所はないよ」

(中略)

It was like the reign of Old Night.

いっとわず らいく ざ れいんおぶ おーるどないと…

おーるどないと


古い夜の時代みたいだ、と。


これは、Old Nightがわからないと予想しづらいと思われたので調べました。何らかのフレーズにちがいないから。

するとこんなのがヒットしました。


The phrase “Chaos and old Night” originated with John Milton in his epic poem Paradise Lost.

Sonorous mettal blowing Martial sounds:
At which the universal Host upsent
A shout that tore Hells Concave, and beyond
Frighted the Reign of Chaos and old Night (Book I; line 540-544).

Milton uses the phrase, to refer to the “stuff” out of which God ordered and created the world. When Satan is cast from the realm of heaven, he falls into a dark abyss which is inside of the realm of Chaos and old Night. As Satan rallies the demonic fiends of Hell their cries shake the realm of Chaos and old Night. Milton further personifies “Chaos”, “Chance” and “old Night” as fickle and impersonal. These realms are the location of Hell and the final destiny of Satan. [See an overview of Milton’s meaning. Richard Bradley, the first interpreter of Milton, in 1732 states that “Reign” here means realm.]


オリジナルはミルトンの『失楽園』。神が作った世界の外にあるものを言うために使ったそう。

サタンが天国から放り出された時、彼はrealm of Chaos and old Nightの中の深淵に落ちていった。
そこは地獄なんですって。


それが、1646年頃のロンドンの街、セントポールを取り巻くものの様子。

うーーん、イメージが濃いなあ。



作家さん、ありがとう。
調べないとわからない書き方をしてくれて感謝します。
また一つお勉強になりました。


ちなみに、ミルトンは同時代人。共和派の運動家、オリバー・クロムウェル支持で、『失楽園』の執筆は1658年から、とwikiにある。


なら、ヤコブがフレーズを拝借するのはおかしいかな。さらに元ネタがあるのでしょうか?




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