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Which is, and which was, and is to come. [読書日記]




読み終わりました。

邦訳されても売れないだろうけど、私はこれと、The Pen Friend がすごく好き。楽しませてもらいました。キアラン・カーソン、ありがとう。



読書は体験だと思います。読んでいると、頭の中で繰り広げられる様々なイメージ、世界、感情の渦。


And it occurred to me that reading is itself a form of translation, for every reader must interpret what he or she reads, visualizing the action or the scene described in his or her own way.

読むことは、それ自体がひとつの置き換えだと私は思った。読む人は誰もみな、彼がもしくは彼女が読むものを自分なりに解釈し、心の中に思い浮かべるから。


Each of us enter the room in the book in our own way.

我々は、それぞれ、自分なりの方法でその空間に入り込む。


A human being is a story-telling machine, and the self is a centre of narrative gravity.

人間は、物語る機械であり、そして彼自身、物語が集約する中心なのである。


私自身がグラビティであって、私が読んできたもので心に残り、思い出そうとすれば浮かんでくるもののかき集めの総体が、この読書日記で書きとめたいと思っていること。



物語の最後のほうで、キルパは謎めいた地下室で、かつての友に再開します。

そこは不可思議な空間で、雑多なものに満ちている。
彼は一台の自転車に目を止める。

それは美しい6月の朝。13歳の少年のころ。
快晴、青空、流れる雲。田舎道を走っていく、あの自転車。

This summer afternoon has always existed.

And I am unbearably happy because in this endless moment I do not know who I am because I am everything around me.





…あれ?午後なの?



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